風の道アートDiary

人生後半、描きたいものを、心より

橋 

曇りの日、河口にかかる橋


<25×34 ランプライト紙>

車の往来が多く狭い路肩は危険で、数分の立ちスケッチもできそうにない場所。それでもここは興味深くて、ずっと描いてみたいと思っていた。見慣れた風景なので、写真をもとに家で描いてもなんとかなると思ったが、甘かった。
興味をそそられる水面はどういった順序で描けば良いのかわからず、橋の色が馴染まず。気に入らなくて何回もやり直したが、代わり映えしない。実景に忠実に描いてガッカリする例になった。

💡   実力がともなわない辛さ、幾つになっても、まだ味わう。


叔母の訃報

親戚の中で絵を描いていた叔母がいました。親戚といっても母の従姉妹なので遠縁、ついに一度も会うことは無かった人ですが、今年2月に亡くなったことを、別の伯母から聞きました。

この画家の”K美叔母さん”は、私に少なからず絵を描くことへの関心を高めてくれるキーパーソンでした。
中学から高校の頃、叔母の絵は女学生向けの本の表紙を飾っていて、それは決まっていつも眩いばかりの美少女。そして花や植物。叔母の絵を見ることは自分の秘かな楽しみであり、憧れでもありました。
親類が集まると、よくK美叔母さんの話題があがり、やがて、日本を離れてフランスに行ったこと、絵が売れて十分食べていけることなどを聞きました。
私の知る中では、画家で生活ができる数少ない成功例です。

私が50歳を過ぎ、K美叔母さんが一時的に日本に帰っていた折に、何かのきっかけでご自身の画集を贈っていただいたことがあります。
後にも先にも接触らしいものがあったのはその一回だけです。

生涯を独身で過ごし、最後も一人。伯母が言うには、しっかり遺言書も残しピンピンコロリだそうですが、病気を患わなかったにせよ、誰も立ち会わないで逝かれたのはどうなのか。描かれた絵はいつまで残るのだろう?
人の一生は何が良くて何が悪いとは言えないけれど、こうして閉じて終わることを、いつもより深く考えてしまいました。